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あなたが知らない二千円札の秘密

あなたは2千円札がなぜ発行されたか知っていますか?

第26回主要国首脳会議(沖縄サミット)と西暦2000年(ミレニアム)をきっかけとして、2000年7月19日に小渕恵三内閣のもとで発行された

当時、そして現在でも中国は尖閣と同じように、沖縄は中国の領土だと主張している

時の首相、小渕恵三は、日本開催であるサミットをあえて沖縄に指定した

各国の首脳が集まるサミットを沖縄で開催すること

それは沖縄が紛れも無く日本の領土であるということを世界に示した事にほかならない

それを認めるのが嫌だったから、中国はサミットに来なかった

二千円

二千円札には守礼門が印刷されている

沖縄のシンボルのひとつである、守礼門が「日本銀行券」に印刷されていることは

沖縄は日本の領土だ、沖縄に関心をもってほしいという小渕首相からのメッセージである

しかし、小渕首相は2000年(平成12年)4月2日に脳梗塞を発症。

意識が判然としないまま、当日夜、順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院

小渕首相の昏睡状態は続き、意識を回復する事の無いまま、倒れてから約1か月半を経た同年5月14日午後4時7分に死去。62歳だった

自らの内閣が決めた二千円札の発行を見ることなく帰らぬ人となった…



1960年前後から60年代、東京のいくつかの大学に「沖縄文化協会」というサークルがあった。

連合体として東京沖縄学生文化協会があった。

小渕首相は早大の学生で文化協会に関わった一人だった

当時の本土では政府も国民も沖縄に対する関心は非常に低く、沖縄の実情を知りたくても情報が乏しかった。

沖縄戦で本土防衛のために大勢の県民が犠牲になり、戦後は一方的に施政権を本土から分断され、米軍統治下で苦しむ沖縄。

「本土が関心を持たなくていいのか」「沖縄をなんとかしなければ」

学生たちは沖縄の政治経済、歴史、文化を勉強した。

「文化協会」としたのはそうしないと沖縄渡航ができないという事情があったからだ。

そんな時代であった。

小渕首相も仲間とともに、何回か沖縄を訪ねた。

本土に復帰するはるか以前のことで、人権も守られず、民主主義もないような沖縄の実情に胸を痛めたはずだ。

沖縄からは小渕首相の基地問題などに対する姿勢に強い不満、批判もあった。

しかし、首相としてサミットの沖縄開催、二千円札デザインの守礼門など、沖縄にこだわり、政治的に決断した。

小渕首相は学生時代の沖縄への熱い思いを最後まで持ち続けたのではなかったか。

小渕首相の沖縄への思いは、確かに二千円札に込められているのである。

小渕
官房長官時代 (昭和から平成に改元時)

Keizo_Obuchi.jpg
第84代内閣総理大臣 小渕恵三


えっ(;゚Д゚)!こんなの知らなかった!って思った人

こちらへどうぞ→くればのひとり語り ひめのブログ

知るべきことが沢山書かれてますよ。
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プロフィール

ヤマト

Author:ヤマト
1980生まれ 日本が好きです。私の国の国旗は日の丸、国歌は君が代です。日本人の私の生活は日本という国があってこそです。いま、とても大変なことになっています、どうかみなさん気づいて下さい、動いてください。日本を守ろうとしている人たちに援護を!そして一緒に守りましょう!日本人の知恵は、こんな危機だって乗り越えられる!!

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